読書と勉強に役立つブログ

これまでに読んだ本、これから読もうとしている本、勉強方法などについて書いていきます。

中国史(上・下) (岩波文庫) 宮崎 市定

国史碩学による中国の古代から近現代までの通史です。

 

けっして読みやすい本ではありません。わたしもいろいろと本を読んできましたが、一般的に岩波文庫の青を読もうと思ったら、一、二ヶ月くらいかかるものと考えたほうがいいと思います。

 

時間がたくさんある学生は別として、社会人として仕事をされている方であれば読み通すのに時間がかかるのが普通かと。

 

ものにもよりますが、ちくま学芸文庫講談社学術文庫なんかもそうです。

 

よく大学の先生や読書家、知識人とよばれる人たちが、あれも読みなさい、これも読みなさい、これもオススメですということを言いますが、普通のひとがそれを鵜呑みにしてたくさん読もうとしても、まず無理だと思います。

 

彼らはプロフェッショナルであり、持っている知識量や文章を読むスキルが高いのです。どのような分野であれ、それを生業としている人間と同じレベルに到達するのは簡単なことではありません。

 

さて、それではおよそ二ヶ月かけてこの本を読み通した所感を。

 

わたしは歴史好きというわけではなく、この本を読み始める段階で中国の歴史に関する知識はほとんどありませんでした。一回目に読んだときは、登場する人物の名前や出てくる地域名に慣れるのが精いっぱい。とりあえず、内容はよく分からないけど、なんとか読み通せた。それが最初に読んだ感想です。

 

二回目に読んで、ようやく文章と文章がつながりはじめ、自分がいま読んでいる文章がどの時代の何について書かれているのか、ということがうすぼんやり分かるようになりました。

 

国史についてあまり詳しくない方は別の本を読んだほうがいいかもしれません。逆に少し歴史に詳しい方であれば、こういった本は喜びをもたらしてくれると思います。

 

興味をもたれた方は、上巻の冒頭に要約がのっていますので、まずはそれだけでもご覧になってはいかかでしょうか。著者の中国史に対する考え方も書かれていますし、分量もそれほど多くありません。この冒頭の要約を面白く読める方は購入されて、そのまま読み進めるといいかと思います。

 

また、わたしはざっと読んだ程度ですが、宮崎市定にはアジア史概説 (中公文庫)古代大和朝廷 (ちくま学芸文庫)といった著書もあります。

 

これらも名著の予感。そのうち腰をすえてじっくりと読みたいです。

 

100年の難問はなぜ解けたのか-天才数学者の光と影(新潮文庫) 春日 真人

数学がそれほど得意というわけではないのに、数学に関する本を手にとってしまうことが多い。数学という学問にひかれているのもそうだが、数学者とよばれる人たちの生き方に強くひかれる。

 

証明できるかどうかわからない問題を証明することに、じぶんの人生のすべてをささげるような人たち。お金や名声といったものとは無関係な世界。

 

ポアンカレ予想を証明したグレゴリ・ペレリマンは、数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞の受賞を辞退した。彼のために用意されたメダルと賞金の100万ドルは、おそらく今も行き場を失って宙ぶらりんのままなのだろう。

 

この本のなかでは、ポアンカレ予想、それに挑んだひとびと、そしてそれを証明したペレリマンの人生について描かれている。

 

扱っている内容が内容だけに、数学の難しいことはよく分からない。それでも、ポアンカレ予想がどういうものであるのか、そしてそれがどういう歴史をへて証明されるにいたったかということを、一般のひとに理解できるように腐心した努力がうかがえる。

 

そのおかげで、一読すると、なんとなく分かったような気分になる。

 

ペレリマンは、若い頃は明るくて気さくな青年だったらしい。そして、ある時からひととの交流を一切絶ち、数学の研究に没頭するようになった。そして、それはポアンカレ予想を証明したあとも続いているようだ。

 

修行とよばれるものをする人間のなかには、世俗との交わりを絶ち、ひとりで取り組み続けるひとがいる。そして、数年、数十年という時間を経て、世俗の世界に戻ってきたりする。

 

ペレリマンも歳をとれば、考え方も気持ちも変わって、フィールズ賞のメダルを受け取りにくるかもしれない。

 

高校生が感動した微分・積分の授業(PHP新書) 山本 俊郎

社会人になってから高校時代に勉強した数学のことが気になるひとは、はたしてどれくらいいるのだろうか。

 

わたしは高校時代、数学がまったくできなかったというわけではないが、そうかといって得意科目というわけでもなかった。そして、心のどこかで、高校時代に勉強した数学をやりなおせるといいな、と思いつづけてきた。

 

数学が得意だったり、まったく不得意だったひとは、おそらくそんな気持ちにはならないかと思う。

 

書店にいったときなどは高校数学の参考書がならんでいる棚をたまにのぞき、そのうちのいくつかを買って読んでみたりしたのだが、どうも頭に入ってこない。

 

大学受験用の参考書というのは、わりとすぐに演習問題に入ってしまうので、基本的な考え方や記号の意味・使い方というのはあっさり終えてしまう傾向にある。そんなことは学校で教えることなので、受験用の参考書ではフォローする必要がないということなのだろうが、わたしのように、すでに学校を卒業した人間にとっては困るのである。

 

そうして、出会ったのが本書である。

 

なるほど。分かりやすい。

 

著者は代々木ゼミナールの数学科講師で、自らの塾も経営されている方らしい。

 

微分積分という分野について、一から丁寧に記述してあり、「どうしてそういうことになるのか」という疑問をもつことなく、一通り読み通すことができた。

 

もちろん、数学という分野の特性上、読むだけでは済まず、一つ一つの式を書いて、意味を確認しながら追っていった。

 

現役の高校生が読んでも得るところはあると思うが、わたしのように高校数学から離れて久しいような人間が学び直すのによいのではないだろうか。

 

ちなみに、同じような趣旨・性質の本として、永野裕之という方が書いた本がある。

ふたたびの微分・積分

 

この本を購入したのは、すでに『高校生が感動した~』を読み終えたあとだったので、それほど得るところはないように感じた。これは読んだ順番の問題であって、この『ふたたびの微分積分』の出来が悪いという意味ではない。

 

高校時代、微分積分を学んだことがあって、「いったい、あれは何だったのだろう」ということが気になって学び直される方は、どちらの本を読んでもいいかと思う。

 

今夜、すべてのバーで(講談社文庫) 中島らも

高校生のころ、この小説をなんども読んだ記憶がある。そして、大学生になってからも社会人になってからも幾度か読み返した。

 

いつの間にかわたしの本棚から消えてしまったが、中身を思い出すのはきわめて容易だ。それくらい、わたしという人間になじんでいる小説である。

 

主人公はアルコール依存症で、肝硬変寸前で入院することになる。中島らも自身が重度のアルコール依存症であり、この小説は実際に入院したときの体験にもとづいて書かれている。

 

たしか主人公のセリフだったと記憶しているが、人はみんな何かに依存しているんだ、というものがあった。依存とは、それなしでは生きることが難しくなってしまうもののことを指しているのか。それならば、生きがいや信念といったものとアルコールやギャンブルといったものにどの程度の違いがあるのか。

 

中島らもは、アルコールだけでなく、複数の薬物中毒に陥っていた。そのことを面白ろおかしく書いたエッセイが数多くのこされていて、高校生だったわたしは大笑いしながら読んだものだった。が、いま思い返してみるとせつない気分になる。

 

中島らもはお笑いやギャグを仕事にしていた。その理由を本人は「おもしろくもなんともない世の中だから、せめて芝居や小説のなかだけでは飛びきりおもしろおかしくしてやろうと思った」とどこかで語っていた記憶がある。この小説もまた、笑いながら読むことができる。

 

小説の主人公は、入院中にさまざまな体験をし、無事に回復して退院する。

 

著者の中島らもも同じように無事、退院し、一時はアルコールを絶っていたそうだ。

 

なにかのエッセイで、「だから、ぼくは生きることにした。そうしないと、死んでいったひとたちに申し訳がたたないからだ」と語っていた気がする。

 

そうして、中島らもは2004年に、酩酊した状態で階段をころげ落ち、そのまま亡くなってしまった。

 

この小説のラストに、なんとなく似ていなくもない。

 

台湾-四百年の歴史と展望(中公新書) 伊藤 潔

2016年の夏に家族で台湾旅行する機会がありました。そのときに、台湾の歴史を勉強しようと思って買ってきた本のうちの一冊がこれです。

 

まだ読んでないんですけどね。中公新書では、タイとかヴェトナム、イランやイスラエルについての歴史の本なんかもタイトルとしてでてます。

 

アメリカとか中国に関する歴史を調べようと思うと、わりとたくさんの本に出会うことができるんですが、たとえば台湾の歴史について調べようとすると、ぐっと点数が減りますね。

 

わたしと同じように台湾の歴史に興味をもたれた方にはいいんじゃないんでしょうか。

 

ただ、文体はいかにも大学の先生が書かれた、というもので硬い。気楽に読み通せる読み物ではありません。

 

一通り読み通そうと思ったらけっこうなエネルギーと時間をつかうと思います。

 

各国のことを1,2ページくらいで簡単に知りたいという方は、二宮書店から出版されているデータブック オブ・ザ・ワールド―世界各国要覧と最新統計〈2016 Vol.28〉 をおすすめしておきます。

 

2016年11月現在では2016版が最新ですが、毎年新しいバージョンのものが出版されています。国ごとに簡単な歴史や産業、貿易統計なんかが簡単にまとめられていて、聞きなれない国のことを把握しようとするときに便利です。

 

値段は700円程度ととっても安い!買って損はないかと。

 

あと、台湾旅行に行かれる方で参考になるガイドブックをお探しの方にはこちらをおすすめしておきます。

 ↓

舞川あいく責任編集 おいしい台湾

 

可愛い女の子を連れてきてテキトーにつくった企画本、ではありません。内容はしっかりしてます。この本に掲載されている台北のお店のいくつかに実際に行って食べてきましたが、とっても美味しかった!

 

記載されている旅行の注意点なんかもそのとおりで、たとえば台湾はスコールが本当に多くて、折りたたみの傘をもっていくと重宝します。

 

台湾は日本から近くて、食べ物がおいしくて(しかも安い)、治安もよくて、ちょっと旅行するにはとってもいいところですね。

 

機会があったらまた行きたいと思ってます。

 

表現のための実践ロイヤル英文法 綿貫陽 マーク・ピーターセン 共著

英語学習に興味のある方は、ぜひこの文法書を店頭でご覧になっていただきたい。少し読んでみてなるほど、と思われる方はそのまま購入してお手元においておかれるとよろしい。充分すぎるほどのお釣りがくる内容である。

 

國弘正雄の著書に『國弘流英語の話しかた』という本がある。名著であり、手にとってみて損はない。英語学習を志すすべての人におすすめできる本である。

 

英語ができるようになりたかったわたしは、この本のなかで提唱されている勉強法「只管朗読」「只管筆写」というものを実践してみた。

 

これは、教科書なら教科書に書かれている英文を、ただひたすら朗読し、ひたすら筆写するというこれ以上はないだろうというシンプルな勉強法である。

 

ちなみに、この「只管朗読」「只管筆写」という言葉は、禅仏教の宗派のひとつ、曹洞宗の開祖、道元が「悟りを開くためにはただ、ひたすら座禅をくむべし」と言い、その修行のあり方を「只管打坐」といったことをもじってつくられた言葉である。

 

英語の勉強方法がよく分からなかったわたしは「これなら自分にもできる!」と膝を打ち、面倒臭い英文法の勉強をほっぽり出して教科書の英文を音読し、書き写しはじめたのである。

 

その結果どうなったか。

 

確かに英語の力は多少あがったものの、自分の英語に確信がもてない状態が続いた。練習量が足りないのだと思い、半年ほど継続したこともあったが、不安定な土台のうえにのっているような状態はついぞ払拭することはできなかった。

 

しかし、これはわたしが國弘先生が書かれていることをきちんと読まなかったために起きたことであり、先生が書かれていた学習法に基本的に間違いはない、と今なら言い切ることができる。

 

わたしに決定的に不足していたのは英文法の知識である。

 

英単語のドリルを繰り返し、只管朗読、只管筆写に励んだだけではダメだったのだ。

 

構造を理解した英文を繰り返し音読し、書き写す。これに語彙力が加われば英語の力は飛躍的に向上する。そして、構造を理解するためには英文法の勉強をするのが一番効率的である。

 

よく英語をマスターするのに、英文法なんて勉強しなくていい、何よりもたくさん話してたくさん聞くことが大事だ、という人がいるが、そんな意見に耳を貸して人生の貴重な時間を無駄にすることはない。

 

細切れの、簡単な会話であればそれで乗り切ることができるかもしれないが、自分の考えや気持ちを表現したり、長い文章を正確に読むためには、どうしたって英文法の知識が必要になってくる。

 

「赤ん坊はそんな知識がなくても自然と言葉をマスターするじゃないか」という人もいるが、大人になった我々は赤ん坊ではない。脳科学の詳しいことは分からないが、赤ん坊のときの脳の働き方と大人になってからの脳の働き方は明らかに違う。

 

わたしがこんなことを言うのも、自分のように誤った学習法によって人生の貴重な時間を無駄にされない方がひとりでも減ることを祈ってのことである。

 

とにかくどのような勉強を選択されるにせよ、英文法の勉強は欠かすことがないように、と釘をさしておく。

 

さて、三十歳を超えて再び英語の勉強に取り組もうと考えたわたしは、英文法の知識の必要性を痛感し、何かいい文法書はないだろうかと本屋やネットで探してみた。

 

そうして、いくつか自分で使ってみて、最もおすすめできるのが、この『表現のための実践ロイヤル英文法』である。

 

ちなみに、帯を飾るのは大学教授にして翻訳者の柴田元幸である。わたしが大好きなアメリカの作家、ポール・オースターの翻訳を多数手がけており、わたしがこの本の購入に踏み切ったのも帯の力が大きい。帯の力、おそるべし、である。

 

この文法書、ほんとうの初心者の方は避けたほうがよいと思われる。一つの目安であるが、わたしの英語力は辞書を使いながら英語の本がなんとか読み通せるレベルであり、聞いたり発音したりするのは苦手である。そんなわたしが勉強していて非常に参考になる、出てくる例文の英語も抵抗なく読むことができる。TOEICであれば600点をこえているぐらいの人によく馴染むかと思う。

 

その程度の英語力でずいぶんと偉そうなことを書くなあ、と思った方もいらっしゃるだろうが、この先英語力があがった段階で書いてもどうせ同じ内容のことを書くだろうから、思い切って早めに書いた次第である。趣旨をご理解いただけると助かる。

 

この文法書によって自分の英語力が高まっていくだろうことを確信したわたしは、近い将来、英検1級なりTOEIC900点超をとることを秘かな目標としている。

 

早くその日がやってこないか、心待ちにしている次第である。

 

エリック・ホッファー自伝 構想された真実 中本義彦訳

この本はわたしが大学生のときか社会人になってから読んだ本であり、折にふれて読み返している。

 

名著である。図書館や本屋で探し、手にとってみる価値がある。

 

今はわたしの本棚に鎮座しているが、もともとは姉が所有していたものだ。 何かのときにもってきてしまったのだろう。

 

この本の表紙に書かれてあるエリック・ホッファーの肩書は「社会哲学者・港湾労働者」となっている。

 

彼は晩年にいたるまで大学等には属さず、肉体労働を続けながら思索と著述を続けた珍しいひとである。肉体労働をしながらでないと、思索や著述がうまくできないと彼が言っていた記憶があるが、思索や著述に興味があるひとは注意していいポイントかと思う。

 

何かものを考えるときは、部屋のなかに閉じこもって机の前に座っていてもうまくいかなかったりする。

 

それよりも、車を運転していたり、散歩をしていたり、草刈りをしているときのほうが考え事というのは深まったりする。

 

哲学者や思想家のなかで散歩を大切にするひとがいたというが、納得できる話だ。

 

わたしはホッファーのような生き方に強く共感する。必要最低限のお金を肉体労働で稼ぎながら、あとの時間は勉強と思索にささげる。

 

社会のためでもなくお金のためでもない。そうかといって自分の信念によってそうした、というわけでもなかったと思う。

 

おそらく、ホッファーにとってはそれが一番自然な生き方であり、彼はそれに忠実にしたがっただけなのだろうと思う。

 

本のなかにはたくさんの興味深いエピソードが散りばめられている。

 

適応しえぬ者たち、と題された一節では、季節労働者が二百人ほど集まったキャンプにおいて、集まった人間のほとんどに何らかの身体的欠陥があるのをみとめた。そうして、そこに集まっている人間のほとんどが社会的不適応者であると結論づけ、放浪者と開拓者の親縁性について考えをめぐらす。

 

そうして、人間の運命を形づくるうえで弱者が支配的な役割を果たしていた、と考えるのである。

 

わたしはこの文章に大いに、そして深く勇気づけられた記憶がある。今もそうだが、わたしは自分自身のことを社会的不適応者と考えているからだ。

 

今の日本社会に窮屈さを感じ、自らのことを社会的マイノリティー、社会的弱者と感じているひとは、彼の哲学に触れるといい。「自分のような人間は自分だけではないのだ」と感じることができると思う。